2019年08月15日(木) 「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」Uサムエル16:12
「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」Uサムエル16:12
シムイという男が、ダビデをののしって来た。ダビデがバテシバと 姦淫を犯した時に、その夫ウリヤを殺害した。その罪を罵倒し、ダ ビデに石を投げつけ、呪った。「出て行け。血まみれの男、よこし まな者。お前は災いに会う」と。部下が首をはねる事申し出たが、 ダビデは許さなかった。主が、彼に言わせているのだから、彼に呪 わせよと。 ダビデは、その罵りを主が命じられたと、主から来たものと受け取 った。ダビデは罪は赦されていたが、主からの訓練と甘んじて受け たのだ。「私の身から出た私の子さえ、私の命を狙っている」、シ ムイどころか、実子のアブシャロムすら自分に敵対して、歯向かっ ている。シムイの呪いも訓練として受け入れた。 敵対して来るシムイではなく、彼を置いておられる、背後の主の主 権を認め、その下にへりくだった。そして主に委ねた。「今日の呪 いに代えて、幸せを報いて下さる」。どんな苦しみの中でも、ただ 状況を変えようとするのでなく、主の前に、正しい心でいるなら、 それをも用いて、万事益に、主が良い事のための計らいとされる。 ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良い ことのための計らいとされた」と。相手の悪意すらも、あなたのた めに祝福と変えられる。状況に、感情で反応するのでなく、主を見 て、状況を見る時、御霊に導かれて対応できる。主のお心にそって 行く時、どんな苦しく辛い状況でも、主の平安の義の実を見て行く。 ------------------ 私たちが犯した罪をも用いて、神は見放すことなく訓練して下さる。 悔い改め、逃げずに神の訓練を受け入れるダビデに、本当に罪の赦 しを受け取った人の謙遜と心の平安を学べる。