2020年03月16日(月)

「ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか」ヘブル4:11



御言葉を聞く時に、聞き方に注意せよと言われている。イスラエル
の民は、皆、モーセから神の言葉を聞いていた。主は、乳と蜜の流
れる地、カナンへ導くとの約束を与えられた。しかし民は、「御言
葉が信仰に結びつけられ」なかった。そのため最後まで難しい状況
を見ては、主を疑い、いつも不満と愚痴三昧で、目に見える状況を
見るばかりで、信仰の目をもって主の約束を信じる事はなかった。

聞いた言葉も益にならなかったと。結局は不信仰によりカナンの地
に入れずに、荒野で滅ぼされてしまった。モーセは忠実に神からの
言葉を語った。聞く側に問題があった。サラも子供が与えられると
いう神の言葉が、信仰に結びつけられなかった。そのため自分に子
供ができないので、奴隷によって子を得るよう画策し、アブラハム
は従ってしまった。

どんなに御言葉を聞いても、それが信仰によって結びつけられなけ
れば、結実する事がない。信仰は、神の言葉と自分を結びつけてく
れる。御言葉を信じる時に、神の言葉は、自分の内で力となり、い
のちとなり、主の御心が成就して行く。御言葉を信じて行く時に、
御霊が私たちの心に働いて、実現するし、自分が変えられて行く。

自分自身はどうだろう。もしそこが欠けているなら、そのまま主の
前に認めて、御言葉が信仰に結びつけられるよう祈ろう。主が信仰
を導いて下さり、必ず豊かな実を刈り取って行く。
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御言葉の約束があっても問題が起これば思いはネガティブな方へと
流れる。肉の価値観に流れそうな時、主に祈ろう。御言葉を信じ従
う方を選択しよう。主が助けてくださる。