2020年06月15日(月) 「けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです」Tペテロ2:20
「けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです」Tペテロ2:20
信仰者は試練があり、迫害があり、苦しみを受ける。主のための苦 しみだ。しかし自分の至らなさや欠点ゆえ周囲に迷惑をかけ、トラ ブルを起こすならそれは迫害でない。信仰ゆえの苦難ではなく、信 仰以前の事だ。誰でも、人に失礼な態度や言動をするなら、非難さ れる。だが個人の落ち度でなく、キリストゆえに受ける苦しみがあ る。 今の私達なら、信仰ゆえに悪口を言われ、仲間はずれにされ、嘲笑 や無視の対象になり、理不尽な目に会う。しかし、キリストゆえの 苦しみなら恥じる事はない。かえってその事のゆえに神を崇めるよ うにと。そして忍耐する時だ。苦難の時は忍耐を培われる時だ。忍 耐とは我慢でなく、どんな状況下でも、神が必ず良くして下さると 信じて行く事だ。この忍耐を働かせる時に成長して行く。 ある青年が家族の迫害に会った。余りに辛く、家におれず教会へや って来た。「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。人が もし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、 悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。・・善を行なっ ていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれ ることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです・・」 と牧師が御言葉を読むと、自分から「帰ります」と言い、主に励ま され平安与えられ、帰って行った。主のゆえなら受け取ろうと、信 仰的、前向きに変えられた。今、理不尽な中にあるなら、主は、立 派に振る舞いなさいと言われる。状況を、気持ちを、何もかも知っ ていて下さる。祈り求めよう。御霊は助けて下さる。 ------------ 愛する主を共に喜べず、主のゆえに苦しめられるのは最も悲しい。 けれど主に向かって信仰が深く深くされていく。主に励まされて 御心のふるまいを実践していこう。