2020年07月16日(木)

「世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた・・どこから来たのか、知らなかったので、しかし、水を汲んだ手伝いの者たちは知っていた」ヨハネ2:9



結婚式がカナであった。その宴会の途中で、ぶどう酒が切れてしま
った。当時の結婚式におけるぶどう酒は、大切で重要な、無くては
ならぬものだった。それが無くなるなど、主催者側の大失態であり、
花婿花嫁の顔がつぶれてしまう事態だった。すぐにマリヤは、主に
助けを求めた。その時、主には、まだ時ではないと言われたが、マ
リヤは、主が必ず何とかして下さると信じ、緊急事態を、主の御手
に委ねた。すると主は動かれた。

手伝いの者たちに「水がめに水を満たしなさい」と。それは80〜120
リットル入る水がめ6つだった。6つものかめに水を満たすのは大変
な重労働だ。しかし主の言われた通りに、彼らは従った。この場合、
私たちは思うだろうか。「何で、水なのか」「ぶどう酒が必要なの
に、水など汲んでどうするのか」「水などがどうなるのか」戸惑い
と疑問が来るかも知れない。

だが彼らは「水がめを縁までいっぱいにした」。主の言葉の通りに、
6つの水がめを満たした。適当に7分、8分目まで入れたのでなく、主
の言葉通りに縁まで満たした。すると主は、その水がめを世話役へ
持って行くようにと。「え!水を?」となりそうだが、「彼らは持
って行った」。従順で忠実だ。

するとそれは、純正のぶどう酒に変わっていた。時に主の示しが、
自分の思いや常識と異なる。ペテロが魚のいない朝に、網を下ろし
て漁をせよと言われたように。しかし言われた通りに従おう。そう
するなら、素晴らしい主の栄光を拝することになる。
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ただの仕事なら六つの水がめを一杯にすることなど出来ないが、主
の命令なら地道な作業も従えるのではないか。誰に仕えているのか
、何に仕えているのか。真心から主に従おう。