2021年02月13日(土)

「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、 あなたがたより先に神の国にはいっているのです」マタイ21:31



ある時、主は、二人の兄弟のたとえ話をされた。父親に「ぶどう園
に行き、働け」と言われ、兄は「行きます」と言った。しかし、行
かなかった。弟は「行きたくない」と断ったが、後から悪かったと
思い出かけた。「どちらが父の願った通りにしたか」と祭司長や律
法学者たちに問われた。彼らは「後の者です」と答えた。主を拒否
している彼らであったが、その通りであったので、そのように答え
た。

主は、弟息子は、取税人や遊女のようだと言われた。彼らは律法に
従わず、罪を犯していたが、ヨハネの悔い改めの教えを聞き、それ
に従い、ヨハネがメシアだと指し示した主を受け入れた。逆に、行
くと言ったが、実際は行かなかった兄息子は、表向きは道徳的、品
行方正で、善行をしているように見える。が、ヨハネを拒み、彼の
教えも拒み、主を認めず、受け入れない、彼らの姿であると言われ
た。

私たちもどうだろう。クリスチャン生活が年数経ると、外側、クリ
スチャン的な振る舞いをするが、心に、主に入って欲しくない部屋、
主を認めたくない領域があるだろうか。「あなたの行く所どこにお
いても主を認めよ」とあるが、信仰生活どこにおいても「主を認め
る」のでなく、自分の思いが中心になっているだろうか。そうなら、
主が見えなくなってしまう。
主を受け入れない心の部屋が無いか、御霊に心を探って頂こう。一
つ一つと主の領域が広がり、喜びが大きくなって行く。

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放蕩息子の兄を思い浮かべるが、外側、忠実で、なすべき事は
きちんとし、父の言う事を聞いているように見えるが、心は父から
全く離れていた。真の幸せと喜びは、主の近くにいることなので、
御霊に心を探って頂き、心の部屋を渡して行けるよう祈ろう。