2021年04月15日(木)

「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことな く、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたと き、聞いてくださった」詩篇22:24


ある人が、大事なテストの際に、カンニングをしてしまった。良心
のとがめを感じ、心に影を落とした。ずっと心が苦しかった。誰に
もどうしても言えず、心が暗いまま、悩んで悶々としていた。主を
信じてはいたのだが、余りよくわかっていなかった。しかしこのど
うにも出来ない瀬戸際の中で、生まれて初めて必死に叫び祈った。

真剣に主に助けを求めた。その時に、詩篇の御言葉に触れた。「私
は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこからくるのだろう
か」今の自分にピッタリ重なり、まさに自分の事だった。そして
「私の助けは、天地を造られた主から来る」と語られ、答えを下さ
ったと思った。心がすうーっと楽になった。

主が共におられる事が感じられた。あんなに苦しかった心が落ち着
いた。そして担任に正直に話せた。心が安堵と喜びで満ちた。失敗
をしてしまったが、この事を通して、頭の信仰だったのが、御霊に
より主に触れた初めての経験とされた。主のあわれみであり、自分
自身が大きく変えられて行った。

問題や悩みや苦しみに出会うのだが、振り返る時、その悩みを通し
て、主を切に求めるようにされ、主に近づけられた。霊の目が開か
れて行った。これからも問題は通るが、主から離れず、主のもとに
いるなら、必ず助けがあり、支えと導きがあり、更に主を知る者と
されて行く。

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自分で対処出来る事であれば、自分でしてしまっていて気づかない。
しかし、自分で全く何もどうにも出来ない、お手上げ状態である時、
主にすがらざるを得ない。主に拠りすがる時に、初めて主がわかる。
振り返ると、主に最も近かったのは試練の時だった。、