2021年07月16日(金)

「求めなさい。そうすれば与えられます」マタイ7:7



偶像を見て育った日本人は、くどくどと唱え、量を多く祈れば良い
と思ったりする。じゅずを持ち、時間をかけて唱え、拝む姿を見聞
きするので、それが祈りだと潜在意識にあるかも知れない。そして、
神よ、ああしてこうして、あっちへ行ってこっちへ来て、の祈りを
する。願いが聞かれないなら、違う神に移る。神を変える。欲しい
のは自分に都合のよい神だ。都合の良い願いを叶えて欲しい。

つまりは自分中心に、都合良く人生が回って欲しい。人生途上で、
主に出会ったクリスチャンも、長年培われた価値観が根深くあり、
あくまでも自分のための神だ。しかし主は、私たちを愛し、慈しん
で下さっているので、忍耐持って導いて下さる。最初は、自分のた
めにしか祈れないし、自己中心の祈りである事も、ご存じでいて下
さる。

とにかく、まずは祈りによって、主に向くことを喜んで下さる。そ
して最初の頃の、よくわからない中で祈る祈りに、よく答えて下さ
る事も経験する。最初は祈りもよくわからないし、誰もうまく祈れ
ない。しかし主は、祈りの実践の中で、祈りを訓練し、学ばせて下
さる。「ノー」の答えがある事も学び、時間をかけて祈り続ける祈
りがある事も学んで行く。

そして自己中心の祈りを、祈りの中で、矯正して行って下さる事も
経験して行く。段々と、御心に適った祈りが、答えられる事を学ん
で行く。祈りとは、御心に適った願いへと軌道修正されて行くもの
であると。とにかく主に向き、祈って行こう。主が教え、手を取り
導いて下さる。
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主の最善は何かを求めるより、自分の最善ばかりを訴えていること
に気づかされる。主の御心を求めて祈ろう。ノーの答えの中にある
主の御心にも気づいていける。