2021年10月14日(木) 「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の 父の家にいることを、ご存じなかったのですか」ルカ2:49
「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の 父の家にいることを、ご存じなかったのですか」ルカ2:49
主が12歳の時に、ヨセフとマリヤは過越の祭りのために、エルサレ ムに上った。そして帰路に着くが、主はまだとどまっておられた。 1日歩いた後、我が子が見当たらない事に気づき、心配と不安の夜 を過ごし、翌日都に引き返した。都に着き、3日目に都中を探し回 り、やっと宮で見つけた。教師たちの真中で、話を聞き質問してい た。人々はその知恵と答えに驚いた。 両親は驚き、心配し捜し回った事を告げた。すると主は、「わたし が必ず自分の父の家にいることをご存じなかったのですか。」と答 えた。主は肉の父ヨセフと、霊の父がいる事を明かされた。ヨセフ とマリヤは御使いからの託宣、数々の預言、奇跡による誕生等を通 して、イエスが神の子であることを理解していた。しかし、いつし か肉親、我が子になっていた。 主は両親に、自分は神から来て、メシヤとして遣わされた事を思い 起こさせようとされた。その時、両親には意味がわからなかった が、 マリヤは心にしっかり留めていた。そして主は一緒に帰り、両親に 仕えられた。主は神の子であるとの自覚の後、仕えるために帰られ た。真の信仰とは、人に仕える事となって現れる。仕えるとは、へ りくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思うことだ。 へりくだらなければ、仕えることはできない。又。主は「必ず自分 の父の家にいる」と言われた。両親は主がいる所を、違った場所に 探して、見つける事ができなかった。私たちも主にとどまる事が大 切だ。今、居場所はどうだろう。主の愛の中にとどまっていよう。 -------------- 自分の狭い考えで、主を推し測ったり、様々に流されてしまい主を 見失わないよう、間違いなく主に結びついていたい。いつも主に聞 きながら歩みたい。主は答えてくださる。