2022年05月16日(月)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:1



別の箇所で、「確信を投げ捨ててはいけない。それは大きな報いを
もたらす」と言っている。主からの約束を待つ時に、まだか、まだ
か、遅いと感じるだろうか。しかし主は、完璧な「主の時」を持っ
ておられる。「わたしの時がまだ満ちていない」「わたしの時はま
だ来ていない」。

そして時が満ちるなら、「見なさい。時が来た」と。主は遅れてお
られない。約束の時を待とう。「もし遅くなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない」。私たちの信仰生活でも、
「神の時」がある。私たちは、今こそが時!今こそ!今でなくてい
つなのか!と、しばしば思う。

ある教会で、会堂建設の土地を求めていた。丁度、土地の値が大幅
に下がったのだ。今こそ買い時、これを逃してどうすると、役員た
ちも、早く、早くと気が急いた。しかしそれに反し、ずっと祈って
いた牧師は、がんと動かなかった。

まだ教会の一致に至っていないから、祈りが必要だと。今は祈りの
時だと。牧師の決断に従い、教会は一つとなって会堂建設に当たれ
るように、時をかけて、祈りが献げられて行った。やがて神の時が
到来だ。祈りが答えられ、一つとなって、会堂建設へと進んだ。

その頃には、土地の価格もすでに高騰していたが、何とそれを上回
る献金が献げられ、ふさわしい土地が与えられたのだった。私たち
の日常生活においても、神は、ふさわしい時に、ふさわしい事をさ
れる。「すべて」全部、それは時にかなって美しい。美しいとは感
動がある事だ。主の栄光が現される。
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神の時を見つめているなら、駄目でも失望から守られる。まだ神の
時ではなかったと望みをもって忍耐できる。神の時を悟れるように
祈っていよう。