2022年07月15日(金)

「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上 では、あなたのほかに私はだれをも望みません」詩篇73:25



詩篇記者は、悪者が富を増し、安らかそうで、繁栄するのを見て、
落ち込んだ。彼らは楽しそうで、豊かで肥え太っていて、あぶらぎ
っていて、何の苦しみのなさそうだ。それに引き換え、神を信じて
いる自分は惨めで、苦しみばかりで、何の良い事もない。

この足はたわみそうで、歩みは滑るばかりだと。どうして神を信じ
ない悪者が栄えるのかと。しかし教えられた。それは「私が誇り高
ぶる者を妬んだから」だと、自らの妬みから来ていた。そして、そ
の妬みは、人との比較の中から来るのであり、主を見上げるのでは
なく、主を見失い、人を見ていたからだった。

信仰生活で、平安や喜びが失せるのは、状況の問題ではなく、主以
外のものを見て、主から目が離れるからだ。主以外のものが第一に
なっていて、その底に、富への欲や、人からの賞賛を求め、それを
愛する心がある。それが人への羨望になって出る。

それは、主に焦点が合っていないので、その結果、様々な不平不
満、
愚痴、イラ立ちとなってしまう。心に平安がなく、虚しい。しか
し、
彼は聖所に入った時に、光が臨んだ。心がすさみ、悶々状態の原因
は、目の前の状況ではなく、主と自分の関係にあるとわかった。

主から離れているから、喜びも平安も無いのだと。今、もし平安が
無いなら、目の前の問題のせいと思うかも知れないが、それは関係
が無い。心が、主以外に向いていないだろうか。逆に、どんな困難
な中でも、主を見上げ、主との交わりにいるなら、心は不思議な平
安に守られる。
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聞く声も応える声もないように思えるとき、主に近づき主に祈ろ
う。
主は、今日も変わらず導き守っていてくださっている。今を主に感
謝し賛美していこう。