2022年08月16日(火)

「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向 かって誇るといけないから」士師記7:2



当時、イスラエルは絶えず外敵から攻撃、侵略を受け、非常に苦し
い状況にあった。主はデオンを選び、諸国と戦わせようとされた。
民に呼びかけると32,000人が集まった。ところが相手は135,000人
の大軍で、数字上では圧倒的不利で、どう見ても全く勝ち目はな
い。

しかしその時、主は極めて不思議な事をされた。ギデオンに兵士の
数が多過ぎるので、減らすよう命じられたのだ。次々と減らされ、
最終的にはたった300人だけが残された。それでその300人で戦う
と、
何とギデオンが大勝利したのだ。

この時、主は減らす理由として「大人数だと自分の手で救ったと自
分を誇るから」と言われた。この戦いの勝利が人でなく、主による
ものと明確にするように、あえて数を減らされた。私たちはどうだ
ろう。自分にもっと力があり、能力があればと思うだろうか。

だがもし力があれば、主のみわざを自分が奪い、自分を誇り、自分
の栄光にしてしまう。信仰的体験さえも、肉は誇る。パウロは、第
三の天にまで引き上げられるという、誰も経験のない、極めて特別
な啓示を受けた。

パウロも、自分を誇らないよう、高ぶらないよう、とげが与えられ
たと言っている。苦しいとげだったが、それにより高慢の罪から守
られた。高慢からの守りは、何と感謝な事だろう。そして更に素晴
らしい示しを受けた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」
と。

この世での賞賛は「強さ」だが、私たちは「弱さ」を誇れるとは何
という恵みだろう。過去の、あれや、これやの出来事は、高慢から
守られるためだったのではないだろうか。
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主は私たちの力や経験など全く問うておられない。素直に従う信仰
だけだ。人の目には焼け石に水のようなものでも、主の戦いは必ず
勝利する。弱さのままで主に従おう。