2022年09月15日(木)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで あなたのおきてを学びました」詩篇119:71



ある人が、家族、親族の救いを切に願い、祈っていた。そして家で
は、親族に懸命に福音を伝え、証しをした。とにかく救われて欲し
い一心だった。しかし熱心になれば、なるほど、けむたがられ、避
けられるようになった。嫌な顔をされるのだが、全く意に介する事
なく、ガンガン押し通したのだった。

段々、家族は、彼女の信仰に心を閉じて行ってしまった。やがて家
を出て、遠方で仕事に就いた。しかし、その仕事はうまく行かず、
挫折してしまった。対人関係でも悩み、苦しみ、深い傷を負った。
行き詰まってしまい、心身疲へいし、仕事を辞めた。一旦実家に戻
ったが、ぼろぼろだった。

何も出来ない状態で、家族としばし生活したが、妹が「お姉ちゃん
変わった」と言った。そして「今のお姉ちゃん嫌いじゃない」と。
妹が心を開いてくれて、話が出来で、心が触れ合うのを感じた。以
前の自分がいかに高慢であったかを思い知らされた。心の内では、
自分は他の人のような罪人ではないと思っていた。

上から目線で見ていた。まさにパリサイ人だった。辛い試練を通し
て、砕かれた。自分の姿を見せられた。もし試練に会っていなけれ
ば、あのまま、どんなに恐ろしい事になっていただろうと、感謝し
か無かった。試練は、決して嬉しいものではなく、痛く辛い。

しかし、「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした」痛い
が、豊かな祝福への道だ。真の幸せへと導いてくれる。「ご自分の
聖さにあずからせようとして、懲らしめ」。成長へと導いて行って
下さる。
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試練があったから、今どれ程の守りの中を生きているのか、備えが
あるのかと感謝を覚えて歩める。主はいつも教え、成長させてくだ
さる。今はわからなくても主を信じていよう。