2022年11月15日(火)

「・・そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つの とげを与えられました」Uコリント12:7


パウロには肉体のとげがあった。とげは痛い。小さなとげでも刺さ
ると痛い。何かの痛みが与えられていた。パウロは、更に主によく
仕えられるよう、障害となる「とげ」を取り除いて欲しいと徹底的
に祈った。だが主からの答えは「ノー」だった。とげは取り除かれ
ず、「わたしの恵みは、あなたに十分」との答えを得た。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」と。とげがある事
により、キリストの力がおおい、ずっと主の臨在の中を歩めると。
私たちはどうだろう。あなたには、今「とげ」が与えられているだ
ろうか。それは、身体的、精神的弱さ、又、辛い、悩みの環境だろ
うか。

ある人は職場、近隣の難しい人間関係かも知れない。その時は、パ
ウロのようにまず祈ろう。御前に祈り、祈りを重ねる時に、御心な
ら取り除かれるし、そのまま置かれて、受け入れるべきとげなら、
そのように示される。パウロは「高ぶることのないように」とげが
与えられたと言っている。

「とげ」によって、へりくだらされ、主に頼る事無しに、祈り無し
に、生きて行けない者とされる。高ぶりから守られる。それは大き
な祝福だ。苦しみは、主のもとへ私たちを導き、主に拠りすがるよ
うにしてくれる。でなければ、主を離れて、自分で生きてしまう。

とげは、まず祈りに持って行こう。御心なら環境が変えられる事に
より除かれる。又、そのままなら、主の恵みは十分で、弱さの中で
主の素晴らしい力を経験して行く。目の前の苦しい状況に、主の視
点に立って、主の取り扱いに、ご計画にあずかろう。そうできるよ
う祈ろう。
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とげがあるから祈り主に助けを求めることができる。取り去られな
い中で、パウロのように自分にとってのとげの意味を主に聞いてい
こう。とげは恵みだったと主に感謝したい。