2023年01月16日(月)

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え・・」 エレミヤ33:3



ある人が、多忙な日々を過ごしていた。早朝出勤の深夜帰宅で、次
々とこなさなければならない業務に追われ、心身クタクタになり、
少しづつ、主の事が後回しになって行った。その内、かろうじて確
保していた祈りの時間も失せて行った。これではいけないと思いな
がらも、目の前の状況に流されていた。

段々自分の思い、自分の力と判断で歩むようになり、急いで読む御
言葉も字面を追うだけで、心に入って来なかった。悪循環になり、
ますますイライラ、ピリピリして、思い通りにならない事で、周囲
の人を裁いた。仕事も更に忙しく、気持ちに余裕がなく、心が重く
てたまらなかった。余りに苦しくなり、聖書を開いた。しかし、文
字を追うばかりで、全く入って来ない。

祈ろうとしても、心が集中できず、壁に向かっているようだった。
どうにもならず「助けて下さい!」とうめくように祈った。心重
く、渇いて、次の日曜に礼拝に行った。その時突然、十字架の歌詞
の讃美が、心にしみ入り、しみ渡り、涙が出た。何もかも捨てられ
た主、十字架の死にまで従われた主、主のその犠牲愛、真実が迫っ
た。

乾ききったスポンジが水を吸い込むように、心にしみて、メッセー
ジに心が溶かされ満たされて行った。真実なる主は、苦しみからの
叫びだった、あの小さなうめきの祈りを確かに聞かれたのだ。その
祈りに答えて下さった。どんな小さな祈りも聞かれている。主のも
とに行きあるがままを告げよう。
------------
忙しいとつい目の前に迫ってくるものを優先し、自分の感情が全て
になってしまう。すぐに迷子になる者だ。平安が無くなり気づける
ことは主のあわれみだ。主は昨日も今日も変わらず祈りを聞いてく
ださる。