2023年06月15日(木)

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これ らすべての中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」 ローマ8:37



私たちは、時として試練に会うが、苦しみの中で、どうにかして早
く目の前の問題を解決して欲しい、ただただこの願いばかりだ。あ
あしたい、こうしたいと自分の思いがあり、そのように祈る。願い
を主に告げるのは良い事だが、ただ大切な事は、目の前に来る問題
は、主の目的と意図がある。それゆえ、この問題を通して、主ご自
身を知り、更に深く主の愛を知れるように祈ろう。

実際、主の愛に触れる時、どんなに苦しい中でも、どんなに困難な
状況でも乗り越えて行ける。ある人が、対人関係の悩みの時に、深
く取り扱われたと証しした。この試練は主から来ていて、自分のた
めの取り扱いだと、模範的クリスチャンのように言っていた。しか
し心の奥では、激しい怒りがあり、恨みがあった。

自分には間違いが無い、自分は正しいと思っている。そのため心で
は相手を裁いている。そして自分を正当化し、悪いのは相手で、自
己義に立つ自分。しかしその事に全く気づかなかった。だが祈り続
ける中で、主はあわれみ、自らの本当の姿を見せられた。何という
罪深い自分。

その時、彼らは何をしているのかわからないのですからと、主の赦
しの大きな愛に触れ、主の十字架の意味が新たにされ、目の前に迫
り来た。一つ〃の悩み、問題は、主の愛を新たに知る機会だ。今、
問題があるなら、主を新たに知れるように祈ろう。
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問題を通して主との深い交わりが与えられる。十字架が現実の自分
自身と結びつくなら問題の中にあって主の大きな慰めだ。問題は辛
くても既に勝利を受け取っている。