2023年09月15日(金) 「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この 二つは互いに対立していて・・自分のしたいと思うことをすること ができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたが たは律法の下にはいません」ガラテヤ5:17
「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この 二つは互いに対立していて・・自分のしたいと思うことをすること ができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたが たは律法の下にはいません」ガラテヤ5:17
私たちの心は、自然に放っておくと、肉へと向かってしまう。嫌な 人は、愛そうとするのでなく、嫌っていたいし、更に憎しみがつの る。人の言動にムッとなると、まず祈るよりも、言い返したい。一 言、言い返すと、肉はスッキリする。人から傷つけられると、何倍 にもして報復したい。又、主の言葉に従うよりも、自分の好きな事 をしたい、しかし、それは肉だ。 肉は楽な方へと進み、より楽な方をを選んでしまう。祈るようにと 御霊の促しを感じる時、祈るよりもテレビを観ていたいし、好きな 事をしていた。一日の終わりには、あれこれと犯した罪を思う。し かし主に向く事なく、そのまま眠りにつき、又、次の朝を迎える。 それを繰り返していると、どんどん肉へと流されてしまう。自分で 気づかぬまま、知らず〃の内に、主を離れた生活へとさまよい出て しまう。 それを押しとどめてくれるのが、主との交わりであり、祈りだ。多 忙な中、ほんの少しでも主との交わりを持つ時に、御霊は罪を示 し、悔い改めへと導かれる。赦されて、又、霊が新たにされ、新し く歩んで行ける。ある人が仕事上の難題を抱え、心身すり減らして いた。残業の日々で疲労もたまり、イライラし、ピリピリしてい た。時間無く、祈りの時も全く持てていない。 限界を感じ、昼休みに外へ出て、公園の隅のベンチで、主を求め た。あるがままを主に祈り、心底の助けを求めた。ほんの少しの時 間だったが、カラカラに渇き切った心が、主に触れて水を得たよう にすう〜と落ち着き、新たにされた。平安と共に、午後の仕事に戻 れた。 ------------------ 御霊に導かれて初めて自分のしたいことができる。だから心は潤い 喜ぶ。あわただしい毎日、少しでも御言葉にふれ、主と交わる時を 守ろう。そして御霊の導きに応えていこう。