2023年11月15日(水) 「そして、その子どもの手を取って、『タリタ、クミ。』と言われ た・・すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた」マルコ5:41
「そして、その子どもの手を取って、『タリタ、クミ。』と言われ た・・すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた」マルコ5:41
信仰の障害とは何だろう。「遅かった」「もう手遅れだ」「もうダ メだ」という事がある。だが、「神の時」と「私たちの時」は、し ばしば異なる。ヤイロは病気で、もう危篤の最愛の娘のために、主 に家に来て頂くよう頼んだ。必死だったろう。主はそれに応えら れ、一緒にに家へ向かわれた。 するとその途上で、中断を余儀なくされた。長血の女性が、いやし を求めて、主のもとに来たのだ。主は、その女性に対応され、女性 に救いを与えられた。その事で手間取ってしまった。一刻を争うこ の時に、ヤイロは。もう気が気でなかったろう。するとそこに使い が来て、娘は亡くなったと告げた。残念ながら遅かった、手遅れ だ、もうダメだと。 しかし、主は間髪を入れず、ヤイロに言葉をかけられた。「恐れな いで、ただ信じていなさい」と。信じているようにと。「神の時」 がある。時もすべてが主の御手の内、主に遅延は決して無い。ラザ ロの時も、「主の時」を待たれた。時が満ちるまで断固動かれず、 そしてラザロの病気を治すのでなく、死からよみがえらせる事によ り、主の栄光を現わされた。 決して遅れではない。それは主の定められた「時」であり、栄光の ためだ。主により語られた御言葉を握っていよう。「恐れないで、 ただ信じていなさい」の言葉にすがりつき、そこに立とう。そして 世の言葉「なぜ、この上先生を煩わすことがありましょう」を聞き 流そう。聞く言葉と、聞き流すべき言葉がある。 ---------------- 自分の思う時に、思うような結果しか望まないなら不安と恐ればか りだ。主のご愛を信じ御言葉に立っていよう。主は一番良い時に、 最善を与えてくださる。遅れてはいない。御言葉を信じよう。