2023年12月15日(金)

「もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがた にとって、何の益もないのです。」ガラテヤ5:2


主に従い、御言葉に従おうとする時に、いつも衝突して来るものが
ある。この世の価値観や、習慣、経験値、考え方だ。又、人にどう
見られるか、どう言われるかとの、肉の思いが来る。世の価値観
は、妥当に見え、常識的に見える。例えば、今まで叱咤激励の中で
来たので、自力で懸命に頑張る事が善であり、美徳だ。

新生し、まことの神を知るや、更に真面目に、忠実でなければと、
信仰生活とは厳しい修行のように思ってしまう。自分の力で従うな
ら、辛く苦しいばかりだ。しかし苦労は美徳で、修行している気に
なる。日本人気質に合致する。これら世の価値観から来ている。

しかし本音は苦しいばかりで辛いし、平安も喜びも無い。それは真
理と逆の方向に向いているからだ。主からのものではない。ここで
は割礼の事が問題となっている。割礼によって義と認められようと
するなら、恵みから落ちてしまっていると。何かをする事によっ
て、主に認められようとする事は、もはや恵みではない。

恵みから落ち、キリストから離れてしまっている。信仰生活は、主
に受け入れてもらうための、苦しい修行でなく、すでに丸ごと受け
入れられ、100%の愛を受けているゆえに、喜んで、感謝して自由
意志で、主に従って行くものだ。

「ねばならない」義務ではなく、「愛によって働く信仰」で、愛が
動機であり、自発的な自由意志で仕えて行くものだ。もし辛く重荷
であれば、主に行き、ありのまま告げよう。主が正しく導いて下さ
る。
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「ねばならない」と頑張り続けることは、今日は出来ても明日は出
来ない。弱いままで100%主が支えてくださるから主を喜び主に
従っていける。主の恵みに与り主を頼っていよう。