2003年03月15日(土)

「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です」(Tテモテ4:8)

ある女性が健康のためにウォーキングがジョギ
ングを日課としていた。身体のために、それは
毎日欠かす事がなかった。ある時、余りの忙しさ
にイライラして、子供達をひどく叱ってしまった。
自分のイライラを子供達にぶつけてしまい、ひどく
後悔の念で心が痛んだ。多忙の余り、祈っていな
い事に気づいた。子供達のためにも祈っていない。
そうだ、毎日のウォーキングを身体の鍛錬のため
と、共に祈りの時にしようと決心した。その日から
歩きながら、子供のために祈り始めた。家族のた
め、教会のために祈った。多くの祈りの答えに
感謝している。ある婦人は草抜きをしながら、祈り
の時としていた。あるサラリーマンは昼休憩に
一人になり、祈りの時としていた。忙しい人々のた
めに、神は知恵を与え、祈りの時を導いて下さる。