2024年03月16日(土) 「イエスは答えられた。『もしわたしが洗わなければ、あなた はわたしと何の関係もありません。』」ヨハネ13:8
「イエスは答えられた。『もしわたしが洗わなければ、あなた はわたしと何の関係もありません。』」ヨハネ13:8
ある時、主が手ぬぐいを取り、腰にまとわれ、弟子たちの足を 洗い始められた。順番に洗われ、ペテロの番になると、とんで もない、恐れ多いとばかりに「主が私の足を洗われるのですか」 「決して洗わないで下さい」と、ペテロはそれを拒んだ。当時 はサンダルのようなはき物で、砂やほこりで足が大変汚れた。 彼はその自分の汚ない足を、自分の師に洗ってもらうなどと、と んでもない、恐縮で申し訳ないと思ったのだ。しかし、それなら 主と何の関係も無くなると言われた。自分の汚い部分を、主に見 せたくないという事になる。醜い部分はおおい隠したい、誰にも 知られたくない。しかし、主はそこをあらわにし、きれいに洗っ て下さる。そこでこそ、主との関係が深められるのだと。 私たちは見栄えの良いところ、魅力のあるところ、能力のあると ころを見せたいものだ。人に認められたいし、受け入れられ、評 価されたい。だが、主と私たちの間はそうではない。弱い、醜い、 汚い部分をすべて主に打ち明け、明らかにする時に、赦され、い やされ、新たに造り変えられて行く。主は弱さを受け入れ、罪を 赦し、傷をいやして下さる。 主に心を開き、心を打ち明けて行こう。主との関係がより親密に されて行く。この世の価値観は、弱さは悪で、強いことが善だ。 しかし御言葉は正反対で、弱さの中にこそ、主の力が現されると。 自力でなく、主により強くされて行く。又、罪は赦される。日々 に主のもとに行き、汚れた足を洗って頂こう。 ・・・・・・・・・・・・ 罪を犯すと、主に近づきがたく、離れようとしてしまう。肉は、 少しは、ましになってから近づこうとする。しかし主はありの まま、そのまま来るようにと招いて下さっている。主の流され た血潮に頼り、汚れたそのままで行きたい。