2024年04月15日(月)

「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。 そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるの か。」ルカ12:20



金持ちの畑が大豊作となり、保管場所が無くなり今の倉を取り壊
し、もっと大きな倉を建て、そこに納めた。そして「これから何年
分もいっぱい物がためられた。さあ安心して、食べて、飲んで、楽
しめ」と言い、これから安楽な人生を大いに楽しもうとの矢先に、
何と死んでしまった。その彼に対して、主は「愚か者」と言われ
た。

大間違い、大誤りしていると。どこが間違いだったのか。財産が、
人生を保障してくれ、命までも保障してくれると錯覚をした。財産
に依存し、物が心に安心を与えてくれると。又、彼の人生には、神
が無かった。神を認めず、神無しだった。そのため自己中心で、自
分の事しかなかった。

別訳では「私の倉]」、「私の穀物」、「私の財産」「私の作物」
どこまでも「私の」「私の」で、すべては自分の所有、自分だけだ
った。貧しい人々に分け与えようとの発想も、天候を支配し、作物
の生育を守り、豊作を下さった神への感謝も皆無だった。そして更
に大きな間違いが、「命」が自分の手中、支配にあり、自分のも
の、自由にできるものだと思っていた点だ。

主は「今夜、取り去られる」と言われ、「今夜」だった。これから
もずっと長く生きるつもりだったろう。人の生き死には、人の手に
は無い。絶対的な主の主権の中だ。大きな誤りだった。財産よりも
重大な「命」は誰のものだろう。そして更に永遠はどうだろう。主
の御前に富み、天に宝を積めるならどんなに喜びで幸いだろう。
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主がなければ、私が、私が、と一刻も安心できない人生だっただろ
う。すぐに主を忘れ貪欲に陥ってしまう。与えられた時も、いのち
にも感謝し、主に助けを求めて歩みたい。