2024年06月14日(金)

「『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信 頼すれば、あなたがたは力を得る。』しかし、あなたがたは、これを 望まなかった。」イザヤ30:15 




主は、同じく「やめよ」と言われ、わたしこそが、神であることを
知れと言われた。「やめよ」とは、他の訳では「静まって、わたし
こそ神であることを」になっている。「静まって」とは、黙って、
言葉を発っする事なくという意味ではなく、自分の力で立ち上が
り、あれこれと動き回るな、という事だ。人間的な力に頼るな、と
の意味だ。

突如の緊急事態発生の時、どうだろう。全く予想もしていない事
が、突然起きると、まず驚き慌ててしまう。パニックになってしま
い、とにかく自分を救うため、思いつく対処に動き回り、その後、
主を思い出すだろうか。又は、主に祈る事は祈るのだが、それはそ
れ、これはこれと、対応は、自分の思いと力でしているだろうか。

又、すべてを何もかもを、委ねているつもりだが、この世に後ろ髪
を引かれ、後ろの橋を焼き尽くせず、万一の場合の逃げ道を残して
いるだろうか。結局は、主を信じる事ができず、自力で行なってい
る事になる。目に見えるものの影響力は絶大だ。そんな中で、目に
見えないものを信じて行く事は、勇気がいる。

今一度、よく心を静め、御霊に自分の心を探って頂こう。本当は、
自分は何に頼っているのだろう。人は、被造物なので、必ず何か頼
らねば生きて行けない。もし主に頼らなければ、自分か、人か、物
に頼っている。正しく主に頼れば、どんなに幸いで祝福だろう。そ
の時に、神が神であられることを真に知って行く。
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祈っても、心は落ち着かず今すぐに出来る事はないかと考えが巡
る。何によって安心するのだろう。見えるところではなく、主に頼
ることで平安を受けとりたい。