2024年09月15日(日)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには 時がある」伝道3:11



すべての事に、「神の定まった時」があると言っている。又、神の
される事は、全部が「時にかなって美しい」と。「かなって」は、丁
度ピッタリ当てはまるという事だ。「美しい」は、感動、感銘を与え
る様、調和が取れて心地良い、快適な様だ。主のなさる事は、定
まった神の時に成り、そして、それだけでなく、そこには感動があ
る、という事だ。

私たちも、これまでの信仰人生で、振り返ると様々経験して来た
事だろう。ルツ記で、ナオミ夫妻が飢饉の際に、離れるべきでな
かった祖国を出て、偶像の地に移住した。しかし時を経て、夫も
二人の息子も亡くなり、帰郷を決意する。その時に、嫁ルツが従
い、同行した。その帰郷は、時ピッタリに、どんどん祝福され、導
かれて行った。

落穂拾いが、生計の手段に備えられていて、たまたま、そこが遠
縁のボアズの畑で、普通、所有者は来ないのに、ボアズがそこに
いて、懸命に働く姿に、ボアズの好意を得た。すべてがジャストタイ
ミングで、ボアズとの結婚へと大きく祝福されて行った。エステルも、
ハマンのユダヤ民族絶滅計画の時に、丁度そこに、時ピッタリ王
妃として置かれた。

伯父モルデカイの指示で、王に助けを願い出るが、エステルにしか
出来ない事で、彼女のみが可能な事だった。エステルは、命をか
けて従い、ユダヤ民族は絶滅から救われた。モーセも40才の時に
同族を救おうと行動するが、失敗した。神の時は、その40年後の
80才の時に到来した。民をエジプトから救い出した。神の時を踏ま
え、時が悟れるよう祈っていよう。

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時々経験する。バッタリ人に会ったり、必要なものが、時ピッタリに
与えられたり、全く動かなった状況が、突然スルスルと動いたりする。
主の時を待てば良いことを、何度も教えられる。又、今、この時に置
かれている場所を覚え、主の御心を行なえるよう祈ろう。