2025年03月16日(日)

「イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に 向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた」マタイ 14:22



主は、弟子たちを「強いて」強制的に舟で、湖に出された。ご自
身は祈るために、山に登られた。すると弟子たちは、湖で真夜
中に大嵐に会った。プロのベテラン漁師たちが、真っ暗闇で逆
巻く波風に、今にも転覆する小舟で悪戦苦闘した。彼らは、立
ちはだかる問題に、何とか立ち向かおうと悪戦苦闘する、私た
ちの姿だろうか。パニックだ。不安で不安でたまらない。

そんな彼らの元へ「しっかりしなさい。わたしだ」と、主が来て下
さった。「恐れることはない」と。主は、すべての「時」を定めてお
られる。私たちにも、耐えられない試練は一つもなく、主が決め
られた時以上に、長引く試練も無い。目の前の試練にも、すでに
時が定められている。

そして主が舟に乗り込むと「風がやんだ」。あの大嵐がピタリと
止んだ。驚いた彼らは「確かにあなたは神の子」との信仰告白
に至った。舟は無事に目指す地に着いた。主が大嵐の試練を
送られるが、弟子たちはその試みを通して、主が自然界をも支
配する、生ける神である事を知った。その驚きはどんなものだ
ったろう。私たちにも試練が来る。

「強いて」舟に乗せられる。が、その問題に主をお迎えする時、
平安が臨む。つまりその問題を主に「委ねる」ことだ。その時、
主が平安を下さる。そしてその問題を解決に導かれる。重大
な事は「主イエスは神」ということだ。自然界も、私たちの人生
も、目の前の悩みも、支配しておられる主権者だ。「恐れるな」
「わたしだ」と、必ず助け出して下さる。

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「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」、何と力と
いのちに、満ち満ちた言葉だろう。試練が来ると、パニックに
なり、主が飛ぶので、悪戦苦闘となる。「わたしだ」、主がおら
れる。安堵が臨む。