2025年04月15日(火)

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によって お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え・・」 ヨハネ14:26


例えば、祈りに関してどうだろう。聖書から教えられるように、
「主の御心が成りますように」と、祈るだろうか。実は自分の強い
思いと願望でいっぱいで、口では主の御心なのだが、本音では、自
分の思いに固執していたりする。しかし、主に反抗する気など無く、
一応は御心がなりますようにとは、思っているので、それだけに自
分でも気づかない。

自分では、御心をと思っているつもりだが、後で振り返ると、委ね
る事の意味もわかっておらず、主を信頼もしていなかったとわかる。
説教で、学びで、主に委ねる事の重要性を、しょっ中教えられるの
で、良い事と思い、そうしている「つもり」だ。が、実は自分の思
いと自分の願望を、しっかり握って放そうとしない。しばしば、自
分がそうあればいいと思っている事を、実際そうだと勘違いする。

ストレートに反抗し、逆らっていればわかるのだが、逆らっている
つもりはないので、返ってわからず、気づかない。何かが漠然とし
ている感覚だ。心に膜があり、確信と満たしが無い。平安が無い。
それで自分でも、何かが足りないと感じている。この問題点は、主
に委ねることにあるだろうか。心の底を御霊に照らされる時に、委
ねていない、委ねられない自分を見い出す。

この事を認めることが、まず一歩だ。握っているものは何だろう。
執着していて放せない。まず、委ねることができないと祈り、助け
て下さるように求めよう。取り扱い、一歩々手を取り導いて下さる。
聖霊が、心の内を照らし出し、平安を与えたり、取ったりしながら、
御心へと導いて下さる。
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問題が起こる時に、主と自分の間を遮るものに気づかされる。実現
したいのは自分のプランであったり、保身であったり。御霊を通し
て主が導いてくださる。そのために一切を主に委ねて御心を聞こ
う。