2025年05月16日(金)

「見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた・・今、行け。 わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人 をエジプトから連れ出せ」出エジプト3:9



羊飼いのモーセが、突然、主から「パロにもとに遣わす、イスラエ
ルの民をエジプトから連れ出せ」との言葉を受ける。突如の難題に
会う時、誰でも大きな恐れと不安に襲われる。モーセは、なぜ自分
が、そんな事をしなければならないのかと問う。モーセは今や80歳
であり、以前40歳の時に、同胞を救出しようとして失敗し、こりて
いる。

この年老いた者に、今さら何を?今の自分には何の力も無く、更に
老齢で、体力も衰えている。だが主は、40年前でなく、今のモーセ
こそがふさわしいと言われる。尻込みするモーセに「わたしはあな
たとともにいる。これがあなたのためのしるし」だと説得して行か
れる。「しるし」とは、証拠であり保証だ。主が共におられるとは、
これ以上の保証は無い。

これが現実なら、これにまさる強みはない。これがすべてだ。私た
ちの信仰人生も同様だ。どんな時も「わたしがあなたと共にいる」
と主が一緒におられ、「わたしがあなたを遣わす」と、今の場に遣
わして下さっている。私たちが、自分ですべき事を決めて、自分で
行き、自分の力で成し遂げるのでは無い。主が、私たちを遣わされ
ている。たまたま、偶然、今の場にいるのではない。

その場で、主からの使命があり、それをも、主が成し遂げて下さる。
そして主は、モーセが血気盛んで、何でも出来ると思っていた若い
時でなく、栄誉も地位も富も人脈も、何も無い一介の羊飼いである、
80歳のモーセを選ばれた。無力な、ただ主にすがる者を用いられる。
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どんな時も主が共にいてくださることを喜ん進もう。自分では計り
知れず、想定外ばかりだが、主が定められた場所や時だ。主を認め
て明け渡したい。主は、いつも共にいると語ってくださる。