2005年01月16日(日)

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」(マタイ19:24)

金持ちの役人は、財産、名誉、地位を持っていた。道徳的な生活もしていた。しかし、主のもとへ来たという事は、心に何かが欠け、空虚さがあったからだ。青年は永遠の命を求めた時、主は戒めを守るよう言われた。みな、守っていると答えた。すると、主は、財産を貧しい人に施すようにと言われた。隣人を愛していると言いながら、実は財産を分け与える事の出来ない、愛の無い本当の姿を知らせようとされた。自らの罪を知り、良いお方を信じるようにと。しかし、自分の財産を捨てる事ができず、主のもとを去ってしまった。財産=自分の力、義、名誉、持ち物だ。人には出来ない事が神には出来ると言われる。まず、自分には出来ないと、正直に認める事が祝福の始まりだ。
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主は私達の真実の姿を知らせられる。どんなに冷ややかで、愛がないかを。しかし、主は初めからご存じで、無い物にご自身の愛を満たして下さる。ただ、真の姿を認める者にだけだ。主のもとを去るのでなく、主に求める事を求めておられる。