2005年02月12日(土)

「望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし・・望みにあふれさせてくださいますように」(ローマ15:13)

信仰生活の中で、時に厳しい苦しみが臨む。その時は笑顔ではいられないだろう。苦難や悲しみは必ず来る。皆、経験するところだ。何で?いつも喜びがあるのでは?苦しみから守られるはずでは?そのための信仰では?それはこの世の宗教だ。最後まで自分中心のままに回り、終る。聖書は全くそんな事は言っていない。まことの神は違う。苦しみを取り去られない。そのまっただ中で共にいて、乗り越えさせて下さる。苦しみの中でこそ神の愛、支えを知識でなく膚で知る。その一番底に揺らぐ事のない平安を見出す。そこでしか経験できない。苦悩のまっただ中で、霊の喜びを経験する。苦しみのただ中で平安と喜びを経験するのだ。環境、状況でなく、主ご自身から来る平安と喜びだ。どんな悩みの時にも、光があり、希望がある事を経験する。患難の中で砕かれ、練られ、変えられ、成長して行く。
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平安を経験したのは試練の中だ。すべてが真っ暗で何の光も見えない中で、一番底に主の平安があった。恐いものはなかった。試練は望まないが、いつまでたっても自己中心で、幼児のようなクリスチャンでいる事の方がもっと悲しい。