2005年06月15日(水)

「彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです」(ローマ16:18)

ネズミ取りの罠や、子供の遊びで落とし穴を作る
時は、工夫を凝らして、いかにわからないよう、悟
られないように作るかが勝負だ。すぐに見抜ける
ようなら罠にならない。悪魔も同じだ。偽り者だ。
ストレートには来ない。狡猾巧妙であり、半分の真
理に半分の嘘を混ぜる。これは半分真理であるだけ
に安心し近づいてしまう。エバの誘惑も真理と嘘の
混合だ。敵は無神論者でなくクリスチャンとして近
寄り、神を語る。光の御使いへの偽装だ。心を許し
てしまい、罠に落ちる。常に祈りが大切だ。祈っている
なら御霊が必ず気づかせて下さる。世の価値観も
だが、御言葉を曲げて用いて来る。裁きの怖い神
で愛を見えなくする。<頑張り>=自力で御言葉を
行わせ神から離す。高慢になり、他を見下したり
裁く。神に従っていると思わせ、正反対の方向へ
追いやる。狡猾なのでだまされないよう、よく祈って
いよう。
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結ぶ実で判断できる。悪魔からのものは実が必ずおかしい。
悪魔は聖書も神も使って来る。その思いから怒りや妬み敵対
心が生じるなら、その行動で秩序が乱れるなら、その価値観
はサタンからのものだ。祈りにより御霊が気づかせて下さる。