2007年03月14日(水)

「ああ。エフライムの酔いどれの誇りとする冠、その美しい飾りのしぼんでゆく花。これは、酔いつぶれた者たちの肥えた谷の頂にある」イザヤ28:1

エフライムは、「肥えた谷」肥沃な地
を持っていて「誇りとする冠」非常に
高慢になっていた。酒に酔いつぶれな
がら、自分を誇り自慢していた。神は
その酔いどれの誇りとする冠を踏みに
じられるために、アッシリヤを送られ
た。私達も同様だ。神の恵みを忘れ、
自分の力で得たかのように高慢になる。
神に栄光を帰すのでなく、自分が奪い
「誇りとする冠」にしてしまう。そん
な時、神は私達にもアッシリヤを、砕
きの御手を送られる。今、痛い事、辛
い事態が来ていたら、へりくだって自
らを探ろう。自分を誇っていなかった
か、神の恵みを横取りして、自分の手
柄にしていないか。神はしばしば、様
々な事態を送り高慢を砕いて下さる。
それは神の愛だ。放っておかれたら、
弱い私達はすぐに天狗になって、あた
かも自分の功績のように思い、神から
離れてしまう。思うようにならない状
況、事態は感謝な事だ。不平不満はお
門違いだ。へりくだって神のお心を悟
ろう。過去を振り返るなら、思い通り
にならない事態が、どんなに感謝で恵
みであったか、それによって高慢から
守られた事を誰しも知るだろう。
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神は真実に愛して下さっているので、
高慢なまま進ませられない。危険だか
らだ。アッシリヤを送って阻まれる。
放っておかれない神の愛だ。高ぶりに
気づき、御手の下にへりくだろう。