2007年07月16日(月)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇1:17



ある女性の証しだ。結婚したが、共働
きで双方疲れ対話も無いまま、価値観
が違い、考え方が違い、習慣の相違に
喧嘩が絶えなかった。自我が問題だと
わかるが、どうにもならず、争っては
悔い改め、その繰り返しだった。そん
な時、夫の親との同居となり、内心は
嫌で、受け入れられないまま生活が始
まってしまった。夫婦の土台も無いま
まの同居で、ますます糸がからんで、
泥沼へと突き進んで行った。数年経て、
もうどうにもならない限界状況になっ
た。疲れ果て、ギブアップ状態だった。
これ以上もう進めなかった。神の御前
に、全面降伏して、この結婚を神の手
に明け渡した。もうどうにでも、あな
たの良いようにして下さいと。自分自
身をも、結婚生活をも、もうどうにも
出来ないと。その時、突然、このどう
しようもない自分のために、主は十字
架で死なれた事、すでに罪が赦されて
いること、これからも赦し続けて下さ
ることが、目の前に迫り来た。自分は
どんなに頑張っても、罪しか提供でき
ない、何の良いところもない者である
こと、だからこそ主の十字架があるこ
と、瞬間に目が開かれた。苦しみが喜
びに変わってしまった。180度の変
化を経験した。全面無力の中で、主に
出会う。一見絶望に見えるどん底に、
そこに主はおられる。
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クリスチャンでもストレスもあれば、
いっぱい、いっぱいで嫌々でしか従え
ない相手もいる。平安を装っているよ
り、正直に主に訴えて行こう。すがり
つくべきお方は、ただ主のみだと心底
わかる。主が受け止めて下さる事を知
る。