2007年09月15日(土) 「あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです」(ローマ6:16)
「あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです」(ローマ6:16)
私達の前にいつも二つの道がある。古 い性質、自我を主張する道と、新しい 性質、自我に死ぬ道だ。内側で葛藤 する。二つの内、自分が選択した方が 自分の行為となる。害毒を流すか、神 の栄光を現すか、どちらかになって結実 する。ある人が途中で職場に入った時、 配置替えがあった。以前からの人が不 満で不快感をあらわにした。しかし、き ちんと対応していた。ある時、目に余る 言葉と態度にプライドが傷つき、一言 言い返そうと思った。瞬間、自我!と 思い、「神様!」と心で叫んだ。その瞬 間に出た言葉が「ごめんなさいね。私が 入ったために部署が替わって」すると相手 は驚き「いいえ、あなたのせいじゃないわ」 と言い、それ以後、相手の態度が一変、 和やかな良い関係になった。彼女は一 瞬、神を選んだ。神を選べないから 助けを求める事によって。サタンは狡猾 で、欲に誘惑して来る。「一言言えば すっとするぞ」しかし、それは肉だ。一瞬、 肉が快感を得るが、必ず後悔が来て平 安を失う。日常生活は、瞬間、瞬間、 自我か御霊かの選択だ。瞬間、神に 助けを求めよう。 ・・・・・・・・・・・・ 「わたしを呼べ」と言われる神に、瞬間に 助けを求めよう。自分では肉しか選べな い。神の助けにより御霊を選べる。 瞬間、瞬間の選択だ。神に介入して頂こう。