2007年10月16日(火) 「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17
神が喜ばれるのは、砕かれた、悔いた 心「ごめんなさい」だ。しかし、古い 性質は、どんな犠牲を払っても、言い たくないのが「ごめんなさい」だ。他 のことなら何でもするが、謝罪だけは 絶対にしたくない。しばしば、人をち ょっとした言葉や悪い態度で傷つけて しまった時に、善で返そうとする。自 分の心がとがめるので、親切な行ない をして、自分のとがめを無くし、チャ ラにしようとする。だが、「たとい私 がささげても、まことに、あなたはい けにを喜ばれません。全焼のいけにを、 望まれません」のように、神は良い行 いで返す事を望んでおられない。神が 喜ばれるのは、神に対して、人に対し て「ごめんなさい」との謝罪だ。良い 行ないは、奢り高ぶったままでも可能 だが、「ごめんなさい」は、へりくだ りなしに出来ない。生活の中で、へり くだれず、善で返してごまかしている 事が、多々あるかも知れない。古い人 を脱ぎ捨てないで、その上に新しい人 を着ようとする事だ。偽りとぎまんの 中に入り込んでしまう。神の前に悔い 改める事が、古い人を脱ぎ捨てる事だ。 思い当たることはないか。 ----------------------- 心がとがめるのにへりくだる事ができ ない自我がある。砕かれる事は祝福。 素直に御霊様のうながしに従いたい。 痛いところを主が共に通って下さる。 人の前にも神様の前にも謙遜でありた い。