2008年05月16日(金)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたはそれをさげすまれません」詩篇51:17

肉、古い性質が最も嫌な言葉が「ごめ
んなさい」だ。絶対に言いたくないた
め他のことにすり替える。心のとがめ
をチャラにするために善を行なう。周
囲へのついきつい言葉や悪い態度に対
して、謝ることをせずに、親切な行な
いでごまかし、自分のとがめを清算す
る。自らの非を認め、謝罪する事だけ
は絶対にしたくない。それはプライド
であり自我であり罪の性質だ。思いつ
く限りの言い訳、弁解を寄せ集める。
こうなったのは仕方なかったのだと、
自分を正当化し、自分が責任を取るこ
とを決してしない。プライドは自らの
非を認めたくないのだ。このプライド
の罪は、なかなか気づかない。自分の
内に巣くっていても、ほとんど気づい
ていない。又、プライドは自分が一番
でないと気が済まない。神の前にへり
くだり、自分を捨てて歩む、御霊の歩
みと全く相容れない。向きが正反対だ。
プライドと神を愛する愛とは両立不可
能だ。人の上に立ちたい、人より優っ
ていたい、人を見下して自分を高めた
い、このプライドは、神を愛すること
も、人を愛することもさせない。神は
様々な事態を起こし、このプライドに
気づかせようとされる。誰しも人のプ
ライドは見えるが、自分のそれはわか
らない。今、目の前に起きている事柄
も、その事ではないか。
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なぜプライドが傷つくのか、かっこ
悪い自分になかなかなれない。御霊
に導かれ自分を捨てて行く事は、あ
る時、肉にはかっこ悪い道だ。あえ
て自分を捨て主に従う道を選ぼう。