2008年07月16日(水)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6

創造主なる神は、私達一人一人を目的
を持って、今それぞれがいる場所に置
かれた。一人一人の人生に計画を持っ
ておられる。しかし、時に苦しみが余
りにも大きすぎて、なぜこんなに苦し
まねばならないのか、どこにご計画が
あるのか、全くわからない時がある。
苦しみと辛さに押しつぶされそうにな
る。目の前を見ていても何も見えない。
囲碁で、布石と言われるものがある。
それは、序盤において全局的な構想に
立って置く石だ。先を見通した上で、
予め石を置いておく。その時には、そ
の石は何の意味も無いように見える。
しかし、段々と進む内に、それが大き
な意味を持って来る。私たちの信仰人
生にも、神は布石を置かれる。そして、
ずっと後になると、その意味がわかる。
なぜ、こんな苦しみに会うのか、こん
な理不尽な事が起こるのか、その時に
はわからない。しかし、後に、あの苦
しみがあったから、今の自分がある。
こんなに祝福された今がある。あの苦
しみが無ければ、今の自分は無い、と
必ず言える時が来る。ヨセフも数々の
理不尽な苦しみを通った。その苦しみ
の意味がはっきりとわかったのは、
「後になると」だった。ヤコブや兄弟
達を救い出すためであった。そして、
ヨセフ自身も訓練され、練られきよめ
られて行った。この苦しみに計画があ
り、益となるとの見方に立つ時、すで
に祝福に入れられている。
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神は無駄な事、無意味な事も一つもな
い。今はわからないが、見えないが、
パズルが埋まるように、やがて見えて
来る。しようとしている事をご存じで
あるお方に委ねていよう。