2026年02月09日(月)

「そして、弟を連れてあの方のところへ出かけて行きなさい」 創世記43:13




ヨセフは、父親の偏愛で、兄たちから妬みを買い、隊商に奴隷とし
て売られ、エジプトへ。波瀾万丈、紆余曲折の末、ヨセフはエジプ
トで奴隷から総理大臣となった。当時、大飢饉の中、宰相ヨセフは、
大豊作時に穀物を貯えていた。それでヨセフのもとへ食糧を求め、
人々が来る中、何と兄たちがいた。ヨセフはシメオンを人質にし、
弟ベニヤミンの同行を要求し、食糧を持たせ帰らせた。

その食糧が尽きた時、再度食糧入手のために、ヨセフのもとへ行か
ねばならない。父親ヤコブはベニヤミンを手放せない。だがシメオ
ンが捕らわれ、食糧のためにベニヤミンを同伴するしかない。ユダ
が、二人を必ず連れ戻ると強く説得する。ヤコブは決意する。「私
も失う時には、失う」のだと。これはヤコブが、砕かれ、主にいっ
さいを明け渡した信仰の言葉だ。

ヨブは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言
った。主は取られ、又、与えて下さる。すべては、主の御手の中で
あるとの信頼だ。ヨセフを失い、ラケルと死別したヤコブには、ベ
ニヤミンが命だった。だが握りしめていたベニヤミンを主に渡した
時に、ヨセフをも取り戻した。更に再度家族が一つにされ、飢饉の
中、命も救われた。

ある人は、不安と恐れにさいなまれ、どうにもならない中、偶像で
ある宝を握りしめているからだと示された。切なる祈りの中で「失
う時には、失うのだ」の言葉で覚悟ができた。すると吹っ切れて、
心が楽になり、あれほどの不安が消えた。今、手の中のものをゆだ
ねるように、言われているだろうか。
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様々な取扱いによって握りしめていたものを示される。失うことも
主の御心の中だと明け渡していきたい。祈りつついると主が心を整
えてくださるのを経験する。主の平安を受け取りたい。