2024年12月06日(金)

「試みる者が近づいて来て言った。『あなたが神の子なら、この石 がパンになるように、命じなさい』」マタイ4:3



主は「御霊に導かれて」、荒野で悪魔の試みに会われた。40日間の
断食後で、まさに限界で、生きるか死ぬかの状態だ。その状態の主
に、悪魔は誘惑して来た。神の子で何でも出来るのだから、目の前
の石をパンに変えて、自分でパンを作れと。「このままでは確実に
死ぬ。神はパンを与えてくれないのでは?」との疑いを吹き込む。

「神に頼っていたら、らちがあかないのでは」「この局面では、自
分で何とかした方がいいよ。出来るのだから」と。「死んだら、人
類の救いも元も子も無いではないか」「とにかく命を保つことが第
一」、あなたにも、こんな誘惑が来るだろうか。「祈りなんて時間
がかかるし、さっさと自分でしてしまえば。

すぐ出来るよ、それでうまく行けばいいじゃない」「結果、オーラ
イだよ」「自分でやった方が早いよ。御心にかなった事なんだし」
と。それこそ、今ここで死ねば、元も子もない。自分の使命はどう
なるのか。まずはパンを食べて、とにかくは生き延びねば。

神に頼り続けるなら、あたかも餓死するかのように思わせる。「自
分で調達すれば?」神のためなんだからと、自分の判断で動き、自
力で事を行なうように仕向ける。サタンの巧妙な誘惑だ。しかし神
の口から出ることばによって生きる。どこまでも神の言葉の下に自
分を置いて、従うことが信仰だ。

神は必ずパンを与えて下さる。パンが命を造るのでなく、神の言葉
が命を造る。神への信頼を崩そうと攻撃して来る、サタンの巧妙な
誘惑と攻撃ををわきまえていよう。そして祈っていよう。
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ふいに焦らされ、主に頼らず自分で動くように誘惑される。サタン
の声を疑って祈ろう。主の御言葉には、いのちと喜びがある。主の
確実な御言葉を蓄えて、真実な言葉に変換したい。