2026年07月08日(水)

「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためで あり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる 私たちへの教訓とするためです」1コリント10:11



聖書は、信仰者の失敗をありのままに記している。世の
書物なら、都合の悪い事柄は隠ぺいする。だが聖書には、
赤裸々に記されている。アダムとエバは、神でなく、罪
の方を選んだ。そして神から隠れた。ノアは酔っ払って
失敗し、アブラハムは妻を妹だと偽り、又、神の時を待
てずに女奴隷により、イシマエルを産み出した。肉の行
ないで失敗した。

イサクも父と同様に、妻リベカを妹と偽る。ヤコブは父
と兄をだまして祝福を奪い取った。モーセは40歳の時に
殺人を犯し、逃亡した。又、出エジプトの後、荒野で怒
りで岩を打つ罪を犯し、約束の地に入れなかった。

アロンは金の子牛の偶像を作り、罪を犯した。ダビデは
姦淫に殺人の罪を重ね、ペテロも弟子たちも主を裏切っ
て逃亡した。主は、それら失敗をことごとく悔い改めに
導き、赦され、尚も変わらない愛で、愛し続けられた。
どんなに失敗をしたとしても、決して見捨てられない。

アブラハム、イサク、ヤコブは祝福され、モーセは民救
出の大役を果たし、ダビデは詩篇を記し、ペテロは諸教
会のリーダーとして活躍した。失敗の時は、問題の原因
を考えよう。自分のどこの弱さで、自分の何に触れるの
か。高慢、プライド、虚栄心、貪欲・・御霊に内側を探っ
て頂こう。

そうする時、失敗を繰り返す事から守られる。失敗を教
訓とせよと言われている。いたずらに落胆せず、主の全
き赦しを受け取ろう。感謝しよう。主はあわれんで下さ
る。どんな時にも、もう一度やり直すことができる。主
は立て直し、立て上げて下さる。
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犯した罪は主の十字架で赦されるが、何度も繰り返した
くない。自分の失敗をしっかりと見つめて、弱さを自覚
していたい。新しく祈っていける。