2026年10月14日(水) 「主は、ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった」 ヨハネ4:4
「主は、ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった」 ヨハネ4:4
主は、ガリラヤへ向かわれる時に、あえてサマリアを 通られた。普通はサマリヤを通らなかった。なぜならユ ダヤ人とサマリヤ人は交流しなかったからだった。しか しこの時サマリヤを通られたのは、心が渇いて救いを求 めている、女性に会うためだった。そのままにできなか った。主は「旅の疲れで」井戸のかたわらに座られた。 非常に疲れておられた。主も私たちと同じように、身体 の疲れを覚えられる、私たちの理解者だ。ここでサマリ ヤの女性は偶然、主に出会ったのではない。主の方が彼 女を求められたのだ。「わたしに水を飲ませてください」 と彼女に話しかけ、会話の糸口を作られた。そしてそこ で個人伝道をされた。彼女の心は満たされず渇いていた。 その心を満たすために男性を求め、次々と5回の結婚離 婚を繰り返し、今は同棲していた。決して男性によって は、心は満たされなかった。女性たちが井戸水を汲み、 お喋りを楽しむ夕方には姿を見せず、人目を避けてカン カン照りの昼間に水を汲んだ。噂の的で、人に会いたく なかった。そんな心が渇いている彼女に、主が近づき、 罪を示し、救いを与えられた。 すると今まで人と顔を合わさず、隠れていた彼女が、大 切な水がめを置いて、町へ出た。そして人々の前に出て、 言った。「来て、見て下さい」と主イエスを指した。彼 女は変えられた。同様に私たち一人一人をも、主は目を 留めて下さったので、救いに導かれた。何という主のご 愛だろう。 ------------- 自分が求めたようでも、主の方から目を留めて、取り扱 っておられたのだ。主のあわれみは尽きない。主に愛さ れ、主が近づいてくださった。何という感謝だろう。