2026年10月02日(金) 「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、 それはあなたです」詩篇39:7
「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、 それはあなたです」詩篇39:7
ここの詩篇記者は、病気であり、苦しみの中で「なぜで すか、なぜこんな目に会うのか」との不満がうっ積して いた。しかし、「私は舌で罪を犯さないために」「私の 口に口輪をはめておこう」と。ひたすら沈黙を守った。 しかし黙していると、ストレスがどんどん内攻し、悶々 状態になり、煮詰まり、爆発しそうだった。 それを彼は、人にでなく、主にぶつけた。心の中の本音 を吐き出し、気持ちをことごとく告げた。人生は、はか なく虚しいと。私の一生は無いも同然であり、人はみな、 盛んな時にも全く虚しいと、心の内を吐き出した時に、 信仰が戻って来た。この虚しい人生で、望みをかけられ るのは、何かと。そして見上げた時に、主を見い出した。 「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、そ れはあなたです」と。そして本音を、主に余すところな く告げた後、「私は黙し、口を開きません」と言ってい る。同じ、口を開かないだが、最初の口輪をはめ、スト レスに陥ったのとは異なる。「あなたがそうなさった」 と、主がこの身の上に起こされたと、ご計画がある事を 認め、それを受け入れ、服した。 目の前の事態や状況、境遇を、主から出たものと、御手 によることと、受け入れることが、「私は黙し、口を開 きません」ということになる。神のご計画を信じるから だ。必ず自分のために益とされる。周囲は皆、幸せそう、 自分だけどうして?と、自己憐憫に陥るのでなく、「あ なたがそうなさった」と信仰に立ち、受け止めて行こう。 その時に、主の愛を知ることになる。 ------------- 私たちは日々に失望しやすいが「あなたがそうなさった」 と信仰で受け止めていく時、同じ状況の中にも備えられ ている恵みに気づけるのではないか。主を認めていよう。