2009年06月11日(木)

「また、わたしのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます」マタイ7:26



砂の上に家を建てた愚かな人とは、み言葉を聞くだけで実行しない人のことだ。御言葉を聞くのは好きで、幾らでも喜んで聞く。しかし、従うことをしない。

スポーツや習い事等、習得の仕方の説明を、耳で聞くだけで身につくだろうか。考えられない事だ。身体で実践しなければ不可能だ。ましてや、真理の御言葉は実行する時、聞いた御言葉に従う時、初めて血となり肉とされる。

御言葉を暗唱するだけでもだめで、実行する事が大切だ。
それが御言葉を生きるという事だ。愚かな人も賢い人も共に「み言葉を聞いて」いる。

聖書を読み、説教を聞くクリスチャンだ。そこまでは同じだ。しかし、砂の上と岩の上に分かれる。

愚かな人は、自分の顔を鏡で見て、立ち去るので「すぐにそれがどのようであったかを忘れる」ヤコブ1:24。御言葉は自分自身の真の姿を映し出す。

しかし、実行しなければ、鏡に映し出された自分の心をすぐに忘れる、すぐに御言葉を忘れ、主イエスを忘れる。

何一つ身につかず、培われれる事もなく、自分はずっとそのままで何も変わらない。成長も無い。それは試練の時に立ち行かけず、倒れてしまう。

「自由の律法を一心に見つめて離れない」、御言葉を一心に見つめ続ける時、御霊により実行できる。今、目の前に示されている御言葉に、一歩従おう。
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御言葉により、あらわになった自分の真の姿、次になすべきことも示されているのではないか。聖書を閉じて立ち去ってしまわず、祈り実行してみよう。御霊の導きはすぐに肉の騒がしさの中にすぐに消えてしまう。