2009年11月14日(土)

「しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はみこころの欲するところを行われる」ヨブ23:13

ヨブは、10人の子供たちを失い、家財や家畜、しもべたち、すべての財産を失
った。次にヨブ自身も、全身を悪性の腫物でおおわれ、非常なる苦しみに会った。

しかし、ヨブは、神がご自身が欲する事だけをされ、誰もそれを翻すことができ
ないと信じていた。神の欲するところは、しばしば私たちの思うところと大きく
異なる。

ある時は理解できない事もあるし、納得が行かない事もある。神は、私たちがた
とえ理解できなくても、納得できなくても、従って行く者と訓練されるために、
理解を越えた事態を起こされる。

「前へ進んでも、神はおられず、後ろに行っても神を認める事ができない」右に
行っても、左に行っても神がおられないと。余りにも深い試練の中で、時に、ど
うしてこんな事がと、神がおられるのだろうかと、思ってしまう。

そのような状況の中で、「神は最善をされる」「神にはご計画がある」と信じて、
従って行く者と変えられて行く。疑いや不安、恐れや思い煩いに襲われる。サタ
ンからの火矢が飛び交う。

「しかし、神は、私の行く道を知っておられる」と信じることができる。神のみ
こころは一つであり、神のみこころだけが成る。自分の思い通りにならない時、
願いと相反する時こそ、信仰が試され、練られ、成長へと導かれる時だ。

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信仰人生で自分の思い通りでない状況にぶつかる。この時こそが信仰の試しだ。
願望通りであり、自分に都合良ければ幾らでも従える。しかし思い通りでない時
こそ、自分の利得のためでなく、神が神であられるゆえに従って行ける恵みの時
だ。