2010年01月15日(金)

「『こどもたちよ。食べる物がありませんね。』彼らは答えた『はい。ありません』」ヨハネ21:5



人は、自分の姿にきちんと向き合わない限り、自分を変えて行くことはできない。岸辺で「食べる物がありませんね」という声がした時、弟子たちは「はい、ありません」と現実を認めた。

プロの漁師だったペテロ達が、ガリラヤに戻った時、再び網を取り、漁をした。ベテラン漁師であったに関わらず、何もとれなかった。
挫折感、屈辱感、空虚感があった事だろう。主を裏切ったペテロは心に深い痛手を負い、これならと自信のある漁をするが、一匹もとれない。

ありのままの徹底無力を認めた時、「舟の右側に網をおろしなさい」と声が聞こえて来た。まだ主だと認識していない。何だかわからないが、その声に従って、網をおろすと、何と驚くべき大漁だった。

網を引き上げられないほどの、おびただしい魚だった。ヨハネが以前の光景と全く同じである事に、主だと直感した。「主です」の声に、ペテロは湖に飛び込み、主のもとへ行った。

陸地に上がった時、炭火があり、魚とパンがあった。それを見た時、ペテロは、主を裏切った時の、あの炭火が脳裏に浮かんだだろうか。主は、合わせる顔のないペテロに、三度「わたしを愛しますか」と問われた。

「私の心を見て下さい、主はすべてご存じです」と答えた。
砕かれたペテロがそこにいた。主の愛は、そのペテロを見事に回復させた。
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本当の姿に向き合い認める時、神は貧しさから引き上げて下さる。現実から目を背け自力で這い上がろうとするのではなく、貧しい自分を認めてあずけよう。主の恵みは尽きない。