2010年06月14日(月)

「もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません」ガラテア1:10



ある人の証しだ。職場の付き合いで、悩んだ。飲み会が、しょっ中あるのだ。付き合い自体も苦手で、嫌な思いをし、しかし参加していた。何となく、参加せざるを得ない雰囲気で、渋々付き合っていた。連日のように深夜まで続き、苦痛で仕方が無かった。それなら断ればと思うが、断る事ができないのが自分の弱さだ
った。「ノー」が言えなかった。

ある日、祈りの中で、そんなズルズルベッタリの、中途半端な自分の姿が見えた。人を恐れて、主に従っていない事に気づきを与えられた。人にどう思われるかばかりが気になり、神も信仰も飛んでしまっていた。ただただ、人におもねっている、人に気に入られようと振る舞っている自分に気づいた。「人を恐れるとわな
にかかる。しかし、主に信頼する者は守られる」。主に信頼するなら守られるとの言葉に励まされ、現状をことごとく神に告げ、心底助けを求めて祈った。

すると心に確信と平安が来た。あれほど人が気になって仕方が無かったのに、心が変えられて、自分は自分と思えるようになった。そして、断れるようになった。仕事も、対人関係も守られた。生活の中で、「ノー」が言えない自分が変えられた事が、何よりも神のみわざであった。主に頼る時、恵みは十分で弱さの中にこそ、御力を現して下さる。
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ノーが言えず人に振り回されストレスになる、そんな弱さを持っている。人の反応を第一にして生きて来た長年の習慣を捨てよう。主と共に歩んでいることが私達の知恵であり力だ。人の顔色を見ず主を見つめていよう。