2011年03月15日(火)

「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」ルカ6:37


ある人が「赦さないなら、その人からずっと何かを求め続けているのであって、その人に永久に縛られてしまう」と言ったが、赦さない事は、相手に求めることになり、生涯、その相手に、自分の人生のコントロールを許す事になる。相手を憎むなら、憎しみの奴隷となり、結局、一生、相手に拘束され続けることになる。
苦しむのは相手ではなく、自分だ。

憎み続ける事は、心がどんなに辛く苦しい事だろう。いつも心が縛られ、一人相撲であり、真っ暗闇の中だ。「赦しなさい」は相手のためでなく、自分のためだ。自分を縄目から解き、自分を解放する事になる。赦さない心は、自分をがんじがらめにする。

ある人が、他人にコントロールされる一生はもう嫌で、自由になりたいと決心した。御前に祈り、赦しを意志で選択した。今、憎んでいる人、赦せない人、傷つけられた人・・具体的に一人一人「赦します」と祈った。その時「赦しなさい。
そうすれば、自分も赦されます」を、身をもって体験した。

人を赦す事によって、自分自身が、神から赦されていること、受け入れられていること、深く慈しまれ、愛されていることを、頭の理解でなく、御霊によって知った。大きな平安に包まれた。人を赦すゆえに、自分が赦されている事を知る一瞬であった。人を赦さないなら、自分が赦されていることが、どうしてわかるだ
ろう。御前に祈ることから始めよう。
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赦すことが正しい。正しいとわかっていても憎しみや恨みを容易に肉は捨てられない。主の十字架の土台に立って主に頼ろう。思いをうち明け祈ろう。主が受けた傷を慰めて、励ましてくださり必ず憎しみから解放して下さる。