2011年04月14日(木) 「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」ローマ8:5
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」ローマ8:5
新生したクリスチャンには二つの性質がある。新しい性質と、生まれつきの古い性質だ。未信者の時は古い性質のみだが、新生した者には、神を喜び、神に従おうとする新しい性質がある。しかし、古い性質はまだ残っているので、ずっとそちらに従えば、何十年信仰生活を送っていても、肉のクリスチャンのままだ。つまり、怒りや嫉妬、憎しみ、敵対心が心に渦巻いている。 又、御霊に従おうとしているクリスチャンも、妬みや貪欲、敵対心に動かされる、これは肉にいる時であり、肉に従うと、そうなる。御霊に従う時は、神の潤いや温もりを現して行くが、同じ人が肉に従うと、きつい言葉や怒り、イライラした態度が出て来る。これでもクリスチャンかという状態になる。 同じ人が御霊に従う時と、肉にある時は別人のようだ。自分の内に、不平不満、愚痴、思い煩い、裁き等が出ている時は、肉に歩んでいる事になる。つまり、その時は自分の力で、自分の思いに従って歩んでいる。主を見上げ「自分にはできません。従うことができません」とありのままを祈る事が大切だ。その時、自分ではなく、御霊が助けて下さって、御霊の中へと導いて下さる。 御霊の中にいると、喜びと平安が湧き出で、神をお喜ばせしたいとの気持ちになる。このどちらもが自分の中にあり、絶えず御霊に明け渡し、従って行く時、御霊の歩みへと導かれる。 --------------- 肉の思いのおもむくままにされるのか、気づいて「神様!」と祈るか。毎日、一瞬一瞬が選択だ。肉の自分は怒りや妬み、失望落胆が渦巻く中であっても、神様に助けられ御霊の中を平安に力強く歩む道を知っている。