2011年08月15日(月)

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのこと を心配してくださるからです」Tペテロ5:7


信仰とは、神を信頼することだ。しかし、私たちは、しょっ中思い煩う。「信頼
する」の反対は「信頼しない、不信仰」だが、「思い煩い」は、まさに「信頼す
る」という事に敵する事だ。思い煩いは、神を無視し、神に背を向けて、自分一
人で悩みを握りしめ、悶々としている状態だ。

神も、神に背を向けている者をどうにもできない。思い煩いとは心が分割する事
で、あれやこれやと心が裂かれ、ちぢに乱れ、不安と恐れでコントロール不能に
陥ってしまう。負のシナリオを描き、それはどこまでもエスカレートして行く。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたのこ
とを心配してくださる」 神が心配して下さるのだから、自分で思い煩うな、と。
あなたの、今、目の前にある、紛れもなくその問題を、神が心配して下さると。
だから心配することを止めて、神に任せよと。

心配を「止める」事が必要だ。止める事を選択する。意識してストップをかける。
そして、神が、どのようにして下さるのか期待する。ある人が初めての経済的苦
境に陥った。常に定期的収入があり、無収入状態を経験した事がない。恐れと不
安で悶々の中、祈りに持って行くと見事に答えられ、全必要が満たされた。

次々と必ず100%満たし続けて下さったので、同じ状況が起きた時に、今回はど
のように与えて下さるか楽しみに思えると。「心配して下さる」神に、その心配
を委ねて、期待していよう。

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主が心配して下さることを、真剣に本気で考えてみよう。だから、何も思い煩う
な、心配するなと言われる。抽象的にでなく、目の前のその問題を、主に告げ、
自らの気持をことごとく告げて行こう。委ねられなかったら、その事をも主に告
げて助けを仰ごう。