2011年09月14日(水)

「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか」Uサムエル9:8


メフィボシェテはヨナタンの子供であり、サウル王の孫であった。だいたい前王の一族は皆殺しにされた。いつ反乱を起こすかわからない危険のためだった。まして、サウルはダビデ殺害に燃えて、ダビデは命をつけ狙われ、何度も殺されそうになった。メフィボシェテはそれもわかっていて、ダビデに殺されても当然であり、隠れて身を潜めていた。

しかし、ダビデはサウルの王子でありながら、自分を守り、命を助けてくれた親友ヨナタンとの約束を果たしたいと、メフィボシェテを王宮に招き入れた。サウルの土地をすべて返し、王宮で生活し、他の王子と同様に、自分と共に食事をするよう言った。「私の食卓で食事をしてよい」とは家族の一人とするという事だ。

サウルの子孫であり、更に両足が不自由で、王のために何の役にも立たないメフィボシェテは、何で自分が?殺されて当然の、何の資格も無い自分が?余りの戸惑いで驚いた。このメフィボシェテは、私たちの姿だ。

御父に敵対し、罪を犯し、「罪の支払う報酬は死」であり、永遠に滅んで当然の私たちが、ただ御子の十字架の贖いのゆえに、無罪放免とされ、永遠に神の子とされる。そして主の食卓で食事ができる者とされ、豊かな交わりの中に入れられた。彼は「いつも王の食卓で食事をした」通り、私たちもいつも主の食卓で溢れる恵みと祝福を味わおう。
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罪しか犯せない者が招かれて行った主のもとは、全ての備えと罪の赦しがあった。何という深いご愛と恵みだろう。主の備えられた食卓で主と交わりの祈りをし、いのちのパンをいつまでも豊かに受けていける。