2011年11月14日(月)

「主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください・・救いは主にあります」詩編3:7



ダビデはバテシバとの罪があった。姦淫の罪と、彼女の夫ウリヤを殺害した罪だ。その罪は、悔い改めによって完全に赦されたが、しかし、蒔いたものを刈り取らねばならなかった。実子アブシャロムが自分に歯向かい、謀反を起こした。ダビデにとって痛い、非常に苦しい、辛い事であった。自分の子供が自分に敵対して来るとは。彼は、反撃し、武力により鎮圧しようと思えば出来た。

しかし、彼はそうせずに、主に委ねて、自分が去り、アブシャロムから逃げる道を選んだ。祭司ツァドクとエブヤタルも、契約の箱をもってエルサレムを出ようとしたが、ダビデが止めた。理由は「主の恵みにかなうならば、私を連れ戻して下さるだろうし、もしそうでなくても、主が私に良いようにして下さる」。いっさいを、自分自身を主にお委ねした。

ダビデは、罪を犯す以前の、信仰によって歩むダビデだ。自分で自分を守ろうとせず、自分に関する事をすべて主に委ねている。そして、武力で立ち向かうのでなく、神に祈り、神に求めている。「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる」。私達も問題が起こる時、なすべき事は、自分の知恵や自分の力で動かず、主に呼ばわり、祈る事だ。まず主に祈ろう。
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主に祈り、約束の御言葉を握って事にあたろう。感情はたえず右往左往するが主の支えがあれば御心のままに委ねて歩める。祈ろう。