2012年01月15日(日)

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」ヨハネ 3:27


ヨハネの弟子は、今まで師のヨハネにあった、皆の関心と人気が主イエスに向か
った事をひどく妬んだ。師びいきのゆえだ。しかし、ヨハネは違った。「人は天
から与えられるのでなければ、何も受けることはできない」と、すべての主権が
神にあることを認めていた。

神が与えて下さるものを受けるだけだと。他の人にもっと人気と関心が集まるな
ら、それも主のなさる事であり、自分がどうこう言う事ではない。ヨハネは自分
に与えられた場所、地位、立場、能力をわきまえ、すべてにおいて満足していた。
「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」。

私たちはどうだろう。誰かが成功すれば、褒められれば、業績を上げたなら・・心
がさわつくだろうか。与えられた境遇、地位、立場、能力に、主を認めて、受け
入れる時、そして、それに感謝し、満足する時、私たちの心は、平安に守られる。

「あなたの行く所、どこにおいても主を認めよ」あれが無い、これが無い、ああ
であれば、こうであれば良いのに・・と、今の境遇に不満一杯だろうか。視点を天
に向け、神に置き換えよう。神が与えて下さった境遇であり、そこにおいて、主
からの使命があり、豊かな祝福が備えられている。

主を認めて行く時、見方が変わる。そこに御霊の働きがあり、不満が感謝に変え
られ、与えられているものを感謝し、満足できる。その時、どのような境遇であ
れ、自分自身には幸福感がある。何と幸いだろう。

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人間的に見るなら、あれが無い、これが無いだが、そこに主を仰ぎ、主の視点か
ら見て、主がそのようにしておられると受け取る時、自分が変わる。心が変えら
れる。そこに信仰があり、御霊の働きがあるので平安が来る。満足が来る。