2012年03月15日(木)

「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか」ヨハネ5:44


誰しも、人に評価されたい、認められたい根深い欲求がある。ある人が、自分が一生懸命仕事を頑張るのは、人の評価を得たいがためであり、それが恐れにまでなっている事に気づかされた。時に、仕事上でミスがあった時には、残業や、休日出勤をして人に知られないようにミスに対応、とにかく失敗を人に知られたくなかった。非常なストレスであった。

ある人は、人の評価を恐れて、へつらってしまう事に気づかされた。人の意見に決して反論せず、同調してしまうのは、人に嫌われたくないからだと。私たちはどうだろう。神の評価と人の評価、どちらに生きているだろうか。サウル王は「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ」と命令されていた。

ところが命令に従わず、最上の物を惜しんで残し、どうでもよいものだけを聖絶した。この事をサムエルに問い詰められると、民がそのようにしたと、民のせいにし、言い訳した。この事でサウルは王位から退けられるが、尚も、民の前で面目を立てて欲しいと願う。

人々の目を気にし、人の評価を恐れた。私たちも、人の目を気にし、世間体を気にする根深い、肉の性質がある。しかし「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」。人は正しく評価できない。不完全な人間の評価に振り回される必要はない。何を恐れ、何を気にしているのか、よく気づけるように。
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神も御言葉も信じているのに、目の前の人の評価も自分のうちで大きな比重を占めてしまう。人の目に映る自分に重きをおき、神の目や御言葉が二番手、三番手になっているなら祈り、正しい所に立とう。