2012年04月14日(土)

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださ るということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Tヨハネ5: 14                 


祈りは、自分の欲望実現の手段ではない。主の御心に適った祈りだけが答えられ
る。幾ら熱心にガンガン祈っても、自分の欲望であって、御心でないならそれは
叶わない。自分の願望まずありきで、何としても神をねじ伏せて、答えを獲得す
るのではなく、自分の願いを、主の御心に沿わせ、軌道修正して行くことが祈り
だ。

そして、御心に適った祈りは、必ず答えられるので、その祈りは成就する事にな
る。しかし祈らなければ、主の御心に適っているかどうかも、知ることができな
い。パウロはとげが与えられていた。それが無ければ、もっと主のために働ける
と、取り去って欲しいと願った。切なる徹底した祈りを献げた。

しかし、答えは「ノー」であり、その願いは聞き入れられなかった。が、パウロ
は切に祈り、主と交わる中で、別の答えが与えられた。主の恵みは十分で、「弱
さ」の内に、御力が完全に現わされるということだった。そのとげは無くならな
いが、しかし、そのとげがある限り、ずっと主の臨在でおおわれることになる。

もし、パウロがこの事を、祈りに持って行かなかったなら、どうだろう。とげを、
仕方が無いと諦め、ひたすら我慢したかも知れず、そこにある、主の大いなる恵
みを知らないままだったかも知れない。

私たちも祈る事によって、目の前に与えられた一つ〃の事柄を、受け入れられる
ようにされる。自分の心を主の御心に沿わせるよう変えられる。

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実際に祈るから、祈りの中で、主が働かれ祈りを軌道修正して導いて下さる。ま
さに祈りの答えであり、大きな祝福だ。主のお心に触れ、主のみ思いを知れ、更
に深い御心にあずかれる。願望が叶う事は嬉しいが、より心満たされる喜びだ。