2012年05月15日(火)

「しかし、私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」詩篇73:28


詩篇の記者は、悪者が富を増し、安らかそうであり、栄えるのを見て、落ち込んだ。彼らは楽しそうで、豊かで肥え太っていて、あぶらぎっていて、何の苦しみも無なさそうだ。それに引き換え、自分は惨めで、苦しみばかりで、何のよい事もない。この足はたわみそうで、歩みは滑るばかりだと。どうして神を信じない者が栄えるのかと。

しかし、それは「私が誇り高ぶる者を妬んだ」自らの妬みから来ていて、そして、その妬みは、人との比較の中にいるから起きるのであり、神ではなく、人を見ていた。信仰生活で、平安や喜びが失せるのは、状況の問題ではなく、神以外のものが心を占め、重きを置き、第一になっているからだ。その底に、富への欲望や、又、人からの賞賛を求め、それを愛する心がある。

それが人への羨望になって出る。それは、神に焦点が合っていないからであり、様々な不満や愚痴、イライラでいっぱいになる。心に喜びがなく、虚しい。彼は聖所に入った時に、光が来た。心すさみ、悶々状態の原因は、目の前の状況ではなく、神と自分の関係にあると悟った。神から離れているから、平安が無いのだと。

今、平安が無いなら、目の前の問題のためと思うかも知れないが、それは関係が無い。心が、神以外の所にあるゆえだ。逆に、どんな困難な中でも、神との親しい交わりにいるなら、心は不思議な平安に守られる。
------------
自分と神との間に何を置いているのか、心が落ち着かず苦しい時は、何かがずれている。御前に祈りそれが何から来ているのか尋ねてみよう。示されたなら委ね、また新しい思いで、御側近くに歩もう。