2012年06月14日(木)

「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから、『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21


神は私たちに歩むべき道を示し、導いて下さる。御言葉を通し、状況を通し、心に平安を与える事により導かれる。しかし、気をつけなければならない。御心を求める時に「御心を示して下さい」と祈り、聖書をパッと開いて、その箇所の、たまたま目についた言葉を「示された!」という人がいるが、それは危険だ。聖書は占いの書ではない。

すべての言葉には前後関係があり、文脈があるので、それを無視して1節だけを取り出すと間違った方向に行く。異端がしかりだ。正反対の方向へ進む。人は主観が強いと、又、強い願望があると、御言葉を、自分の都合の良いように取り込んでしまう。どうしても人間は、肉の思いがあり、自分の都合に合わせて読み込
みたいものなのだ。そうすると誤ってしまう。御心を求める時は、よくよく祈ることが大切だ。

生活全般に耳を澄まし、御言葉を待つことだ。礼拝メッセージから、デボーションから、人々との交わりの中から、様々なものを通して、主は必ず語りかけて来られる。指導者の助言も参考にするとよい。経験があり有益だ。祈りつつ、御言葉を待ちつつ、状況をじっと見ていることだ。門が閉ざされたなら、それは御心でない。御心なら自分で開くのでなく、必ず環境が開かれる。門が開かれ、御言葉と平安与えられ、尚かつ祈るなら「確信」が与えられる。その時は、前進すべきだ。
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意欲もあり御言葉もあり、さぁこれからだと思った時、門が閉ざされてしまった。自分を過信し、見切り発車するのを神様が止められたのだとわかった。これが道だとの声をしっかり聞き逃さぬよう続けて祈りたい。